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2020.2.1 千代田学習会のお知らせ

都連(東方学会ビル)4階A教室
てーま モーニング娘。に中国人留学生がいたころ
とき、 2020年3月27日(金)6時 一時間半程度
ところ 東方学会4階A教室
話す人 千代田支部関

 

ジュンジュンとリンリンがくにに帰ってから10年以上たちました。
あのころ娘たちは何を見たのか。異国に来たカルチャーショック
仲間になっていくときの軋轢。そこから学べることはあるかもしれません。
モーニング娘。プラチナ期をつくったメンバー。8期メンバー。
16歳になっていないとステージに立てないフランスで公演をおこなった。
かかった橋は世界にという頃の話。アイドルで青春を駆け抜けたふたり。
青春の一ページって、地球の歴史からするとどれくらいなんだろう。
友好って出会いです。娘たちの出会いの物語を語れればと思います。
会員、会員の紹介の方は無料です。それ以外の方は考えてませんが、
時期が近づいたらホームページでお知らせします。
YOUTUBEで次の曲を視聴していただいておくと分かり易いでしょう。
リジナントブルー。そして 雨の降らない星では愛せないだろう。

 

3月27日の学習会について その1

 

2010年にモーニング娘。から3人のメンバーが卒業しました。そのうちのふたりジュンジュンとリンリンは中国からの留学生でした。というお話をさせていただこうと準備を始めましたが。モーニング娘。というアイドルグループを知っていても、二人がいた時期をプラチナ期と呼ぶとかそういう用語解説をしますと時間が足りそうもありません。なので沿革を出しておこうと思いこういう文章を書かせてもらいました。
日本が世界に発してるものはたくさんあります。多くは製品商品ですが文化エンタメもある。伝統芸能マンガアニメJ-POP、アイドル。
アイドルというのは1970年後期から80年代にかけて日本で広まりました。それまではスターと新人といったとこから、人気者ということだったでしょう。もとはシルヴィ―バルタンの曲【アイドルを探せ】ダンスパーティに誘いたい女の子いないかな。ピンクレディ花の中三トリオ。男性もふくまれるようになっていきました。時はバブルの時代。年間600組とかのデビューのほとんどがアイドルだったり。しかしブームは去るものだし人は飽きるものです。この歌をこういう衣装を着てこういう風に歌えってだけでは飽きられる。自分で曲を作り世界観を打ち出すシンガーソングライターが台頭することになります。そしてバブルが崩壊した世紀末。ラブマシーン現象といったものが起きた。
ロックインジャパンというのは複数のステージに多くのアーティストが出演するものですが昨年モーニング娘。が出演したとき集まった観客は遺伝子が覚えていたといったとかいうのあったそうです。ラブマシーン現象の時、物心ついた人はいまアラサ―ぐらいでしょうか。
オーディションで加入と卒業を繰り返す。グループアイドルは形作られましたが、8期メンバーとしてジュンジュンとリンリンの加入する前に音楽シーンは激動の時期を迎えます。
21世紀に入ってCDが売れないということが起こりました。それまでヒットすればミリオン100万だった。音楽に携わる人たちは業態を変えていくことになります。多品種少量生産とかライブやコンサートのチケットを売り観客にグッズを売る。ジアルフィーにはお酒ありましたし。北島三郎さんはサブちゃんラーメンとかあっておいしいですよ。
アイドルもかわいいだけではってなっていったわけで、ステージをちゃんと作らないと。ジュンジュンとリンリンが加入したころはそういう時代でした。チームとしても個人としても自分のスキルアップをしていかないと。言葉も不自由な少女が異国に来て何があったのかは本人でないと分からないものもあるでしょう。彼女たちが見せてくれたものを、お伝えできればと思います。
日中間の民間交流って多彩なものだと思います。ひとつの側面からのアプローチとそれを理解することを深められればいいと思っています。
続きます。

 

3月27日の学習会について その2

 

ジュンジュンリンリンのいた2008年にモーニング娘。は宝塚とミュージカルシンデレラを上演しました。きれいな舞台だった。黒地にシンデレラってロゴのTシャツは児童向けのが最初に完売していた。あれを着たお嬢ちゃんたちは宝塚を受験したんでしょうか。モーニング娘。のオーディションを受けたんでしょうか。その前初めて宝塚とハロープロジェクト(モーニング娘も参加してる)が【リボンの騎士】をつくったとき宝塚の座付き作者さんはモーミング娘。を基礎訓練は足りないが実戦経験豊富な兵隊さんって言っていた。
後にハロプロで舞台をつくった末満さんはアイドルという過酷な生き方を選んだ少女たちって言ってたりした。
高校野球で甲子園をめざす。中学のときめだっても高校でどこのチームにはいってレギュラーになれるか。甲子園に行けるか。優勝するのはひとつだけ。それでもプロになれるってもんでもない。
アイドルはアマチュアじゃないのでもっと過酷とも言えます。オーディションであなたの歌とダンスで7000円のチケット買っていただけるのって言われるのが小学生だったりする。歴代45人のモーニング娘。のふたりが中国人だったことの意味はこれからも歴史をつくってくでしょう。あのとき異国に来てモーニング娘。になろうとした二人が残したもの。ワンチームをつくっていった。それが世界に伝わっていったということは今だからわかるってことかもしれません。ネットが果たした役割があって今はもう世界につながるネットがないと世の中動かなくなっています。1998-2020のエポックメーキングな時期プラチナ期っなんだったのかってなりましょうか。

 

3月27日の学習会について その3

 

モーニング娘。がフランス公演をしたとき、ジュンジュンとしえリンリンは日本のグループのメンバーとしてきましたと自己紹介しました。オーディションに通ればメンバーですが。当時のリーダーサブリーダーは二人に泣きながら話したことがあったそうです。詳細はつまびらかではありませんが。仲間として一緒に進もうってことだったでしょう。 フランスでは16歳になっていないとステージに立てません。中学生メンバーがいたりするときはいけませんが、めぐりあわせでしたでしょうか。ジャパンエキスポというイベントに招かれてでした。まるで日本でのようなって雰囲気の会場ってなったようですが、日本語中国語フランス語のほかに英語やドイツ語もってなっていたようで。それはネットがあって世界の人たちが今のそのときのモーニング娘。を知ってくれていたからです。パフォーマンスが世界に届く視聴される時代ってなっていました。
80年代アイドルはテレビによって生み出された。ネットによってそれが進化していったということでしょう。だから逆に現場に行く。ライブを見ることが求められて。大きなトレンドだけではない多様性とか特殊性とか独自性とか。
モーニング娘。も参加するハロープロジェクトは世界にアジアに出かけたりしてますし、日本に来てもらうってこともあります。アイドルはそういう文化交流の一部です。
モーニング娘。だけではないお姉さんメンバーがユニットを組んでってありました。中国に行ったときとか。エピソードたくさんあります。

 

3月27日の学習会について その4

 

ジュンジュンとリンリンがいたころ、四川大地震がありました。視線にいる友達と連絡が取れない心配しているとかあって。あのころコンサート会場で義捐金を募っていたりしていた。いまは台風15号19号の被災地にってあったり、あの後日本の災害で中国からの支援があったり。
自然との闘いは人間の闘い、協力してくものでしょう。ふたりがいたときは中国に行くとか多かったです。日本と中国は長い交流がありますけど、近年の文化交流は壁もありました。国交回復してなかったり。中国でちゃんとコンサートしたの西條秀樹さんだったし。公式なイベントで仮称したのはエクザイルのアツシさんでしたでしょう。文化交流は少しずつ進んでいった。モーニング娘。が中国に行った時もいわゆる地上波ではなくて、ケーブルテレビに出演しました。視聴されてる方何人ですかって聞いたら3億人とかだったで す。
文化交流は人間同士のつながり、自然との闘いは人間としてのってものでしょう。ですからいま私たちはこう発するべきなんじゃないでしょうか。武漢加油。
娘。たちがしてたことってこういうことを確認するってことだったのだろうと今更ながら思います。
モーニング娘。の20年余りは黄金期プラチナ期そのあとの二つとかに分けられていて、EDM期とか第二黄金期かな。そのあとはまだ明確じゃないですけど。もうすぐリーダーサブリーダーとか卒業すれば時代区分できるんじゃないでしょうか。
ジュンジュンとリンリンがいたプラチナ期もどういう意味のあった時期かが確認できるだろうと思います。二人は国に帰ってママになって子育てしてますけど、それも歴史をつくるってことなんでしょう。

 

3月27日の学習会について その5

 

オタクとかヲタクとかいう表現はゲームやアニメからですが。熱烈なマニアックなファンとしてモーニング娘。のファンをモーオタといつから呼ぶようになったかは定かではないですが。世に広まったのはフジテレビにバラエティで芸人さんが演じたからでしょう。なかなか強烈でしたから。
オタクっていうのは好きなことをとことん突き詰める人達ですから、ジャンル全部ではなくてもある部分では専門家を超えますでしょう。日中友好協会は中国おたくも大勢いますけど専門家レベルもいます。中国にも日本おたくって方々がいらっしゃいますでしょう。
♪ この広い空翼を広げて、自由に羽ばたかなきゃ生きてる意味ない。 きっとこの空は世界につながっていて、中国の空の下子育てしてる二人も困難を乗り越えようとしてるでしょう。心は届くって思っています。
人間は自然に翻弄されるし人間の社会は揺れ動きますでしょうけど、人生ってそれをこえてすすんでくものってなるでしょう。あのころ蓋に見せてもらったものは後輩たちに引き継がれていて、世界とのつながりになっていってる。
ふたりが見せてくれたものって、日本と中国はすごく違うってことでもあったし理解できなくても共通の同一のものってあって仲間になれるってことだった。目指してるところは一緒だから。ってのは今のリーダーの言葉ですけど先輩から後輩につながってゆく続いてくストーリーはきっと今もこれからも。
不思議なものです。中国で何か起きてるって報道に接しても映像なわけですけど。
あの時ステージに舞台に立っていた娘がいま中国にいてってなると生きてる人間の鼓動とか息づかいとかで感じられますから。
ジュンジュンが卒業した後中米でしたかお仕事ありました。飛行場に歓迎って書いたプラカードを持った女の子がいて気づいたジュンジュンはハグしたそうですけど。その日来るのは分かっても時間は分からなかったんじゃないかな。パンクちゃるという者でもないし。朝からずっと待っていたんでしょう。ファンというのはすごいです。敬意をこめてモーオタさんて呼んどきましょうかね。

 

3月27日の学習会について その6

 

目指すものは、歌ダンス演技パフォーアンススキルをあげること。仲間としてライバルとしての切磋琢磨。先輩を追いかけて後輩に教えて。ルックスや表情トーク力。中国から来た二人は言葉の壁や文化の壁。自分を探して自分をつくって自分の居場所を切り開いて。
1年で中堅3年でベテラン5年たったら卒業を考える。全力疾走の青春。ティーンエイジャーになるころにスター17~8歳で転機を迎える。
リンリンが中国に帰ってイベントに参加したとき。歌い始めた彼女の前に人が立ち止まったり集まってきたとかあったそうです。歌の力というものでしょうか。歌がうまいってどういうものかは言えませんけれど。心に届く心を動かす心に何かが生まれるってことになるものかもしれません。実績や経験のある先輩たちに対してアイドルには何があるんでしょうか。世阿弥って日本芸能の祖って方ですけど。時分の花ってあります。若い時に若い時だけ放つことのできる輝きってことでしょう。若さの輝きとそのときだけしかできない表現がマッチするのかもしれません。
ステージに立ってパフォーマンスするのが年間250回とかなると体力や精神力でアスリート並みの限界への挑戦ってなりますでしょう。芸能人は体力だってことかも。そういう挑戦をしても歌でご飯が食べられるってなるもはほんの一握り。それでも大勢が挑戦を続けてきたしこれからも。 今のモーニング娘。は15期メンバーまでいて21世紀生まれが増え続けてます。ダンスの良しあしとかわかりませんけど。体が硬いとかだそうです。怪我につながるからってなるんでしょう。14~5歳だと目を見張るほどに進歩があるでしょう。
歌舞伎の世界では年齢一桁で初舞台だったりですけど、人間国宝ってレベルの歌舞伎役者さんがあの頃嫌いに毎日成長できるといいんだけどってゆってましたか。
ファンが見てるものはきっと空翔ける翼をもった少女たちなんでしょう。天使の羽をもっているってなりましょうか。テイクオフするときはもうすぐ。
ふたりがいたころをプラチナ期と言いますが、これはプラチナナインディスコってコンサートに由来しますけどその結果創世記のブームを黄金期、次をプラチナ期と呼ぶようになっています。 モーニング娘。が前に進み続けた証。いまメンバーになろうとしてオーディションを受けてる女の子は今のメンバーにあこがれてるわけで。今のメンバーはプラチナ期モーニング娘。にあこがれてってなりますでしょう。というかハロプロ各グループがそれぞれクロスオーバーして憧れの先輩のいるグループでなくても追っかけてる関係を生み出してるって言えるでしょう。
外国でのオーディションが無くなってるのは、日本だけでもレベルアップ図れるというのと。外国にもそれぞれアイドルグループが生まれてきてるからってあるでしょう。リンリンはアイドルグループのプロデュースもしています。

 

3月27日の学習会について その7

 

アメリカは日本の3倍の人口ですけど毎年公開されてる映画の数は日本の方が3倍あったりします。単館上映や映像販売レンタルなどがあるからでスターシステムのハリウッドのようなアルバイトしながらレッスンを受けてオーディションをめざすとかだけではないってことも多い。日本のアイドルシステムは完成しないことを尊いとする日本型の価値意識が生み出したしたともいえるでしょう。自分探し自分づくりの過程を大切にする。
日本のアイドルの総数は分かりませんが、表現者としてパフォーマンスをなりわいとしてるってものからアルバイト的なものまであるんだろうと思われます。あるいは今のハロプロには芸能人がピアノを弾いてるんじゃなくて、ピアニストがアイドルやってるって娘もいたりします。音楽大学に受かったかどうかはまだわかりませんけど今年だけでなく挑戦はするんじゃないかな。
ジュンジュントリンリンの挑戦が日本の芸能界に入るってことだけではなくて、日本の音楽シーンの中に入ってつかんだものを持ち帰ったということなら種は芽吹いて大きな樹に育つかもしれません。二人がいたプラチナ期の作り出したものが今とこれからをつくっていく。というよりもうすでにあの頃憧れていた女の子がベテランや卒業ってとこにいて、その子達にあこがれた子が中堅どころにいて、オーディションを受けたいって子は今に子たちにあこがれてってことになるでしょう。あのころはすでに伝説。だってですね。新しく加入しましたって自己紹介してるのは2008年に生まれましたとかですから。
社会はときに激流のような流れの部分と穏やかな流れのってあって、若さは激流に身を任せたり生み出したりしていくってことなんでしょう。
伝説はフィクションじゃないですけど歴史そのものでもなくて、こういう時代だったって伝わるものがあるといいなって思います
現状3月末にできるかどうかは不明ですがチラシも資料もこういう形で公開してますからできなくても届くものはありますでしょう。もし可能だとなったらネットには出せないようなネタも仕入れておきましょう。誤解されたくないですけど個人や団体組織などを誹謗中傷したりはしません。誤解されそうな表現とその説明ってことになると思います。
レッテルを張ってってことから話は始まるでしょうけど。レッテルを張って終わりでは思考停止進歩がないというものです。

 

3月27日の学習会について その8

 

今というのを描き出すのは難しいです。錯覚も思い込みもある。音大を受験するって思いこんだのは高校生で国際的なピアノコンテストで2位になったというのを聞いて、自分に加えるものとして歌ダンス演技など挑戦するアイドルになったのだと思ったわけですけど。すでに大学生だった。感覚ずれたってことでしょうか。
いまでも中国人留学生が居たことの意味は歴史的解明ってとこまではいってないでしょうけれど、先輩の到達点を出発点にしてってものではあるでしょう。小学生から研修生になる。他でレッスンや勉強をして参加してくる。そのことでムーブメントとしての幅ができるってことでしょう。20歳以上の大人もいたりしますけど、小学生も。といってもデビューは小学生はない風になってきてますけど、これはまた変わっていくかもしれない。 伝統としてのアイドルとかだとそうなってくんでしょうか。
今の時点では中止にはしません。理由は日中友好協会にかかわっているしモーニング娘。をってなるとわたしい以外にいないのではないかとなると何人も集まらないでしょうし。そのころは窓を開けていられるでしょうってこともあります。参加費は無料とします。

 

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